新・rona9229の日本サッカー応援の軌跡

移行しました。単なる素人です。がんばります。 

『京都スタイル』考

『京都スタイル』というものが語られています。それを基準にして、内容がよかったか、内容が悪かったか、という話もされているようです。

詳しくは語りませんが、京都の戦術や、基本コンセプトというものはあると思います。それは「人もボールも動くパス・サッカー」であったり、「ボールに行くのを大切にする守備」であったり、「攻撃的なパス・サッカー」「日本人の特性を生かした走るサッカー」というものであると思います。

しかし、チームを型にはめてしまってもいいのか?相手の状況に関わらず、同じ戦術の繰り返しでもいいのでしょうか?違うと思います。戦術や、システムというものは、味方の選手や、相手の選手によって、内容が変わるのではないでしょうか。方向性を持ちつつ、試行錯誤し、変化し続けることが必要ではないでしょうか。

宮本武蔵の『五輪書』火の巻に面白い文があったので紹介します。

「太刀の構え方に重点を置くのは、あやまった考え方である。世間一般には、構えをするということは、敵がいない場合のことであろう。そのわけは、昔からの先例や、今の時代の法だなどと、定まった型をつくることは勝負の道にはありえない。相手にとって具合が悪いように仕組むことなのである。(中略)

兵法勝負の道にあっては、相手の構えを動揺させ、敵の思いもよらぬことをしかけ、敵をうろたえさせ、むかつかせ、おびやかして、敵が混乱して拍子が狂ったところに乗じて勝を得るのであるから、構えなどという後手の態度を嫌うのである。したがって、わが兵法においては有構無構、すなわち構えがあって構えがない、というのである。」

五輪書』には相手の状況を見て相手の隙を衝くこと、構えというものはあるが構えない、まず相手を重視する、ということが書いてあります。

構え(スタイル)というものはあるが決まった構え(スタイル)がない、ということは、サッカーに置き換えると、相手を見て仕掛けるサッカー、常に相手の状況を読んで動くサッカーです。守備では相手によりプレスするか逆にブロックを作って回させる、攻撃では自ら意図ある攻撃を、長いパスか短いパスか判断して攻撃を繰り出していく。構え(スタイル)がないサッカーというのは、柔軟かつ主体的なサッカー、『イニシアティブをとるサッカー』だと思います。相手も同じく対応してきますから、主導権の奪い合いが起こるし、それが試合の醍醐味になります。

アヤックスバルセロナというチームがあります。スタイルは『トータル・フットボール』と呼ばれ、特殊な流れを作っています。これは攻撃で主導権をとるサッカーだと思います。

ユーベ、ミランというチームもあります。スタイルは『カテナチオ』、『ゾーン・プレス』と呼ばれ、時代を創りつづけています。これは守備で主導権をとるサッカーだと思います。

攻撃面、守備面はどのチームも抱える局面(フェーズ)です。京都も、G大阪戦、東京で見せたように攻撃で主導権をとることも、福岡、神戸戦で見せたように守備で主導権をとることも、局面・局面であります。試合の流れを読み、相手を観察し、攻撃、守備を上手に使い分けしてほしいです。

バルサでもスタイルは変化してきました。今のスタイルはメッシがいるからできるのであるし、クライフ時代、ファン・ハール時代、ライカールト時代、グアルディオラ時代、と攻撃も、守備も、それぞれ違ったスタイルであったと思います。

同じチームでも、ユーベのコンテ監督は最初424を使っていたのが、433となり、今は352になっています。選手の適性や、相手チームの戦術を見ての判断でしょう。

『京都スタイル』というものも、攻撃でも、守備でも変化を積み重ねて熟成していくものであって、『大木スタイル』を表現できているかというのも、一つの基準にはなるものの、決まった型、決まった戦術ではなく、表現されるファンタジーや、選手の闘志やランニング、試合の結果なども、『京都スタイル』の基準になるものだと思います。

大木監督は自分の『大木スタイル』から『京都スタイル』へとこのチームは脱皮してほしい、戦術は少し変える、と話されていましたが、今のところそれは成功しているのではないでしょうか。『京都スタイル』の一つの定義として、大木監督は『魅せるサッカー』『また見たいサッカー』ということをあげられているのですが、確かに去年のような華麗なパス回しや、テクニカルなドリブルなどは幾分みられる割合が下がったものの、選手のひたむきさやハードワークなど、これまでからあったものの隠れていた闘志あふれる、泥臭い『魅せる』プレーも、十二分に魅せてもらっているな、と感じています。

また試合を重ねるごとにこの京都スタイルも、変化していくのかもしれませんが、チームの行方と『京都スタイル』をしばらく見守りたいと思っています。

(敬称略)

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引用文を上げておきます、参考までに。

「太刀のかまへを専にする所、ひがごとなり。世の中にかまへのあらん事は、敵のなき時の事なるべし。其子細は、昔よりの例、今の世の法などとして、法例をたつる事は、勝負の道には有るべからず。其あひてあしきようにたくむ事なり。(中略)

兵法勝負の道、人の構をうごかせ、敵の心になき事をしかけ、或は敵をうろめかせ、或はむかつかせ、またはおびやかし、敵のまぎるゝ所の拍子の理を受けて、勝つ事なれば、構えといひ、後手の心を嫌ふ也。然る故に、我道に有構無構といひて、かまへはありてかまへはなきといふ所也。

【 訳 文 】

太刀の構え方に重点を置くのは、あやまった考え方である。世間一般には、構えをするということは、敵がいない場合のことであろう。そのわけは、昔からの先例や、今の時代の法だなどと、定まった型をつくることは勝負の道にはありえない。相手にとって具合が悪いように仕組むことなのである。(中略)

兵法勝負の道にあっては、相手の構えを動揺させ、敵の思いもよらぬことをしかけ、敵をうろたえさせ、むかつかせ、おびやかして、敵が混乱して拍子が狂ったところに乗じて勝を得るのであるから、構えなどという後手の態度を嫌うのである。したがって、わが兵法においては有構無構、すなわち構えがあって構えがない、というのである。」

五輪書宮本武蔵 鎌田茂雄 訳 講談社学術文庫 P224-226 1986