新・rona9229の日本サッカー応援の軌跡

移行しました。単なる素人です。がんばります。 

(空想)京都サンガは夢と希望を語る

この前、JR二条駅へたまたま出かけた時、あしなが育英会の募金活動にたまたま出会った。高校の制服を着て、彼らは、必死でパンフレットを配っていた。僕らに近づいてきて、パンフレットを渡してくれる子がいた。そのときは、何も感じなかった。しかし、今振り返って考えてみる。彼らの中に、京都サンガを応援してくれている人がいるだろうかと。

言い方が悪かった、言い直す。ただ失礼な言い方になるから躊躇するが。いいのだろうか。彼らの中には、京都サンガはともかく、サッカー日本代表の試合や、エグザイルのコンサートや、街で好きなものを買いものしたくても、買いたくても買えない、行きたくても行けない人がいるのではないか。そういう人たちに、京都サンガのチケットは、無料チケットはいきわたっているのだろうか。本当に京都サンガを応援し、心から愛しているが、お金や、時間の制約で、試合を見に行けない人に、京都サンガは手を差し伸べているのだろうか。Jリーグは、何かをしているのだろうか。また何かを応援できているのだろうか。

日本人の平均給与(所得)額は年々下がってきていると聞いている。1990年代はまだバブルの余韻があった。Jリーグが開幕した時、まだバブルはかろうじてあった。しかし、「失われた時代」と呼ばれた時代を超え、東日本大震災を超えて、えぐい無機質な言い方をすれば、「所得が下がっている中で、個人の使えるお金の額が下がっている中で、同じ動員数を確保することは可能なのだろうか」。行わなければなければいけない、言わなければいけないこととしては、「社会貢献として、京都サンガJリーグは、見たくても見れない人に無料チケットを配れているか、届けるべきではないのか」。

僕は、京都サンガの試合には夢と希望が詰まっていると信じている。底抜けのお人よし、馬鹿なのかもしれない。「つまらない試合」「たかがJ」という人なんて、試合を見たらなくなってしまうと信じている。だから僕のこの愛する京都サンガの試合を、Jリーグをまだ見たことのない、恵まれない(失礼な言い方だ)人たちに、母子・父子家庭の人や子供たちをはじめ、重ねて言う、見たくても見れない人たちに届けてほしいのだ。

イノベーションは必要だと思う。どういう経路で届けるかは考えなくてはいけないだろう。しかし、やり方によっては、特に京都府京都市をはじめ、行政が関わることで、チケットをこのような人に届けることができるのではないだろうか。

具体策があった方がいいと思うので、2つ案を示す。

京都にあるバス会社、京阪京都交通京都サンガを応援してくれている。この京阪京都交通がバスを出してくれ、京都サンガが学校に無料チケットと先生への謝礼・超勤額を用意したうえで、小学校や中学校の子供たちをホームゲームへ招待する。そして選手が子供たちをエスコートしたり、アカデミーのスタッフが案内する。今現在は、平日に、京都サンガが学校へ出向いて授業を行っている。これを逆転させる、すべての子供たちにわけへだてなく夢を与えるために、無料チケットを使って、試合を見ていただく。もちろん親御さんに連れて行ってもらっている子供たちもいるだろう。しかし、だれも救ってくれず、闇の中で苦しんでいる子供が、華やかな世界を見て、何かを感じるかもしれない。夢をバスに乗せて、届けることは不可能なのだろうか。

もう一つ、子供たちや、人々に夢を与える手段を。現在、学費無償化され、高校へは入りやすくなっている。しかし大学へはあしなが育英会の子供たちのように、なかなか行きたくても行けない子供がいる。だからスカラー・アスリートではなく、アスリート・スカラーとでもいうのか、スポーツで優れた子供たちに、奨学金を用意する。現在京都サンガは経営で苦しんでいるのに基金なんて、という人もいるかもしれないが、京都サンガは夢と希望を売っている、与えている。そうである以上、社会貢献は、義務ではないかと考えるのだ。ここから発展して、音楽や、学業で優れた成績をもった子供たちを、奨学金でサポートするのだ。京都サンガは地域にサポートされているが、同時に地域をサポートする。そうあってもいいと思うのだ。

無料招待券、無料チケットというものがある。総じてこういう「無料」のものをもらった人は、スタジアムへ来ないことがある。「無料」だからだ。じつはしかしそのチケットは、本当は誰かがお金を払って、用意してくれたものなのだ。僕ならこういうふうにする。まずその無料チケットに、でかでかと金額を書いてやる。SSメインの無料チケットなら前売りでも4千円はする。4千円とでかでかと書いてやるのだ。そうすれば、その人が、京都サンガか、会社からかはわからないが、「お金」「機会」をもらったことに気が付くかもしれない。

またこういうふうにもする。ある特定のチケット・引換券だけでもいいかもしれない。「このチケットの収益の20%はあしなが育英会に寄付されます」「このチケットの収益の30%は東日本大震災で被災された人々に寄付されます」このようにすれば、少しでも、人々が、今同時に生きている時代に、困難に立ち向かい、闘っている人がいる、そういうことを思い起こし、自分が恵まれていることを思い起こしてくれるかもしれないから。チケットのもっている本当の意味を、解ってくれるかもしれないから。チケットには、チケットの価値がある、そのことをもっと知ってもらうべきだと思う。

京都サンガは、Jリーグは、夢を語り、希望を語る。そしてその夢や、希望を、(僕も使っていたが)動員という味気ない言葉ではなく、単なる利益の対象ではなく、闘っている人として届ける、生きがいとして与える、そうあってほしいと願う。

この拙い文が、何かの夢、希望となり、突破口となることを願います。

具体化はできない、空想かもしれない。しかし、読んでくださってありがとうございました。

(敬称略)

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